昨日、11歳の息子に、
「逆切れって言われたんだけどどう思う?」
と学校であったことを相談されました。
それを聞いていた8歳の息子からも、学校であったことを相談されました。
息子たちの言い分を聞く。
状況を聞く。
「客観的」という言葉はわかりにくいかもしれないけど、こういう見方もある。
もう一つは、あなた達のお母さんとしては、こんな風に思う。
そんなとりとめのない話をしている中で、
次男は、「母ちゃん相談所」と言い、
母ちゃんにこうやって話をするとスッキリするんだ
と言ってくれました。
初めて出産したときの、何とも形容しがたい感情を思い出し、
そして、自分のこれまでの経験が、こうして子育てに活かされているような気がして、
あぁ、この為だったらあんなに必死に勉強したり苦労したことだって
全部が無駄じゃないって心から思える
そんな風に感じました。
普段の生活の中で、
一体私は何を目指して何のためにやっている?と自問自答する事
理想と現実の違いに打ちのめされそうになる事
それでも。目の前にいる我が子たちに、
「こうやって話すとスッキリするんだ」と言ってもらえる事。
ちなみに、普段の生活の中では、
こちらがどんなに学校の事を聞いたって、ほとんど答えてくれません。
「今日学校どうだった?」「何かあった?」
「楽しい事あった?」「中休み何して遊んだの?」
「〇〇くん(仲良しの子)と遊べた?」「嫌な事あった?」
「面白い事あった?」「今日勉強した事で印象に残った事あった?」
→「別に」「普通」「遊んだ」
そんなもん。
私の質問がダメ、とかそんな意見はここでは求めてないですし、上記の質問を矢継ぎ早に問いかける事もないです。
ただ、会話量としてはこんなイメージ、というのを表現したかったのです。
だから、冒頭の、「母ちゃん相談所」も、開催はごくまれです。
相談者の気分次第。
ふっと、話したくなった時に話してくる。
だからそこを逃さないように、耳を傾ける。
安心して、自分の内側をさらけ出せる場所。
そんな存在でいたいと思うのです。
いずれ、彼らは私からは離れていくし、
私も彼らから卒業する。
でも、彼らが教えてくれている事は、きっと私の糧になる。