子育ての中で

    1024 683 chie

    昨日、11歳の息子に、
    「逆切れって言われたんだけどどう思う?」
    と学校であったことを相談されました。

    それを聞いていた8歳の息子からも、学校であったことを相談されました。

    息子たちの言い分を聞く。
    状況を聞く。
    「客観的」という言葉はわかりにくいかもしれないけど、こういう見方もある。
    もう一つは、あなた達のお母さんとしては、こんな風に思う。

    そんなとりとめのない話をしている中で、

    次男は、「母ちゃん相談所」と言い、
    母ちゃんにこうやって話をするとスッキリするんだ
    と言ってくれました。

    初めて出産したときの、何とも形容しがたい感情を思い出し、
    そして、自分のこれまでの経験が、こうして子育てに活かされているような気がして、
    あぁ、この為だったらあんなに必死に勉強したり苦労したことだって
    全部が無駄じゃないって心から思える
    そんな風に感じました。

    普段の生活の中で、
    一体私は何を目指して何のためにやっている?と自問自答する事
    理想と現実の違いに打ちのめされそうになる事
    それでも。目の前にいる我が子たちに、
    「こうやって話すとスッキリするんだ」と言ってもらえる事。

    ちなみに、普段の生活の中では、
    こちらがどんなに学校の事を聞いたって、ほとんど答えてくれません。

    「今日学校どうだった?」「何かあった?」
    「楽しい事あった?」「中休み何して遊んだの?」
    「〇〇くん(仲良しの子)と遊べた?」「嫌な事あった?」
    「面白い事あった?」「今日勉強した事で印象に残った事あった?」

    →「別に」「普通」「遊んだ」

    そんなもん。

    私の質問がダメ、とかそんな意見はここでは求めてないですし、上記の質問を矢継ぎ早に問いかける事もないです。
    ただ、会話量としてはこんなイメージ、というのを表現したかったのです。

    だから、冒頭の、「母ちゃん相談所」も、開催はごくまれです。
    相談者の気分次第。
    ふっと、話したくなった時に話してくる。
    だからそこを逃さないように、耳を傾ける。

    安心して、自分の内側をさらけ出せる場所。
    そんな存在でいたいと思うのです。

    いずれ、彼らは私からは離れていくし、
    私も彼らから卒業する。
    でも、彼らが教えてくれている事は、きっと私の糧になる。