すごいという言葉に対して

    1024 683 chie

    すごくないことを知っているすごい人でありたいと思います。

    中学の社会の時間、
    哲学の話題で、ソクラテスの「無知の知」を知った時の
    私の衝撃。
    社会はそこまで好きな授業ではなかったのです。
    (それなのに、社会の教員免許を取得)
    悪友と、性善説と性悪説についてだいぶ言い合いをしたのもいい思い出。

    すごいね

    たまにそう言われることはあるし、
    子どもたちなんて、純粋に母ちゃんはすごい!と褒めたたえてくれる。
    子どもたちからの賞賛は素直に嬉しいけれど、
    大人からの賞賛は素直に受け取れないこともある。

    …そんなにすごくはない。

    けれどほんとは。すごい事だって知っている。
    私が他の人に出来ないことを、
    いとも簡単にできてしまう事がある事だって知っている。
    私にとっての造作もない事が、多くの人の
    琴線に触れる事があることも。

    自分の能力を卑下するのでもなく、
    自慢するわけでもなく、
    出し惜しみするわけでもなく、

    自分に出来る事を。やるだけ。

    自分が誰かと仕事したら、
    「つぎもあいつと仕事がしたい」と言わせよう

    元任天堂社長の岩田さんの言葉がぐいぐい私にはささりました。
    (リンク先で本の内容の半分が読めます)

    自分なんてすごくない、って思う自分と、
    ほんとはこんなにすごいんだから!褒めて!と思っている自分と、
    どっちも同居しているのです。

    自分なんてすごくない、は、大人になってしまったから
    打ちのめされた経験が何度もあるから。
    自分を守るための盾でもあります。

    すごくない人なんていない。
    自分にできないことを出来る人がいた時に、
    素直にすごい、と賞賛することが出来る。
    キャリア相談を受けるとき、誰かと話しをさせてもらう時、
    目の前で話を聞いている自分とは別に、
    もう一人、「あぁ、この人はこんな風に考えるんだなぁ、
    感じるんだなぁ、こんなことを経験してこんな風に乗り越えてきたんだなぁ」
    ぐるぐるぐると、相手の事を俯瞰して見ているもう1人の私がいます。
    相手への敬意で溢れています。
    そして、私との間で導き出されるもの。

    それを、人は成長と呼んだり、気づきと呼んだり。

    その瞬間に出会えることが、私は大好きなんだなぁ、と思うのです。
    とりとめもなく。書いてみました。