すごいという言葉に対して
https://i0.wp.com/www.chieurabe.com/_wp/wp-content/uploads/2018/11/blur-branches-close-up-213727.jpg?fit=1024%2C683&ssl=1 1024 683 chie chie https://secure.gravatar.com/avatar/2b814127a4986bd287044d16c0aa9c00?s=96&d=mm&r=gすごくないことを知っているすごい人でありたいと思います。
中学の社会の時間、
哲学の話題で、ソクラテスの「無知の知」を知った時の
私の衝撃。
社会はそこまで好きな授業ではなかったのです。
(それなのに、社会の教員免許を取得)
悪友と、性善説と性悪説についてだいぶ言い合いをしたのもいい思い出。
すごいね
たまにそう言われることはあるし、
子どもたちなんて、純粋に母ちゃんはすごい!と褒めたたえてくれる。
子どもたちからの賞賛は素直に嬉しいけれど、
大人からの賞賛は素直に受け取れないこともある。
…そんなにすごくはない。
けれどほんとは。すごい事だって知っている。
私が他の人に出来ないことを、
いとも簡単にできてしまう事がある事だって知っている。
私にとっての造作もない事が、多くの人の
琴線に触れる事があることも。
自分の能力を卑下するのでもなく、
自慢するわけでもなく、
出し惜しみするわけでもなく、
自分に出来る事を。やるだけ。
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自分が誰かと仕事したら、
「つぎもあいつと仕事がしたい」と言わせよう
元任天堂社長の岩田さんの言葉がぐいぐい私にはささりました。
(リンク先で本の内容の半分が読めます)
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自分なんてすごくない、って思う自分と、
ほんとはこんなにすごいんだから!褒めて!と思っている自分と、
どっちも同居しているのです。
自分なんてすごくない、は、大人になってしまったから
打ちのめされた経験が何度もあるから。
自分を守るための盾でもあります。
すごくない人なんていない。
自分にできないことを出来る人がいた時に、
素直にすごい、と賞賛することが出来る。
キャリア相談を受けるとき、誰かと話しをさせてもらう時、
目の前で話を聞いている自分とは別に、
もう一人、「あぁ、この人はこんな風に考えるんだなぁ、
感じるんだなぁ、こんなことを経験してこんな風に乗り越えてきたんだなぁ」
ぐるぐるぐると、相手の事を俯瞰して見ているもう1人の私がいます。
相手への敬意で溢れています。
そして、私との間で導き出されるもの。
それを、人は成長と呼んだり、気づきと呼んだり。
その瞬間に出会えることが、私は大好きなんだなぁ、と思うのです。
とりとめもなく。書いてみました。